ヒヴァー東洋の真珠
シルクロードに残された「宝島」と呼ぶにふさわしい独特の古代都市は人類の貴重な文化遺産です。
「博物館都市」ヒヴァは中央アジアの古代都市の一つで、その建物は今日に至るまでまるで昔のままのように保存されており、私たちを大昔に逆たような感覚にしてくれます。ヒヴァはその文化的・科学的価値からユネスコの決定を受け、世界遺産都市に指定されました。
1997年、ユネスコの後援で、ヒヴァで2500周年の祝賀が開かれました。当時世界から大勢の人々がこれの比類ない都市訪れ、古代の歴史に触れて古代通りを散策し、古代建築物の不滅の美しさを堪能しました。ヒヴァは古代の伝統にしたがって建設され、都市の中心部に「都市の中の都市」にも言うべきイチャンカラと呼ばれる中央宮殿、そして周辺にはディチャンカラと呼ばれる「外縁都市」が配置されています。イチャンカラは北から南へと広がり、要塞壁で囲まれています。東西南北に書く1つずつ、4つの門があります。ディチャンカラもう要塞壁でかこまれていましたが、現在ではその一部が残っているだけです。
「古い要塞」を意味するクフナーアルクは、1686-1688年に、オランハーンの命を受けて建てられました。クフナーアルクは、要塞壁でかこまれ、中には要塞の建屋、兵器庫、火薬製造所、宮殿、執務室、裁判所、モスク、軍隊訓練用の広場がありました。現在では建屋の一部が残っているだけです。
およそ20メートルのメドレッセ(ヒヴァの最高教育機関が保存されています)のうちに最もすばらしいのが、モハメドアミンハーンのメドレッセです。
その注目すべき特徴は、フジュラという生徒が生活するための長屋状の小部屋です。また、正門と正面全体は彩色煉瓦でストライプ状に飾られています。中世の時代では、イスラムの人々にとって都市としての意義や重要性は、もっとも重要な建築物である金曜礼拝モスクがあるかどうかで決まりました。ヒヴァには、これに匹敵するジュマモスクがあります。ジュマモスクはイチャンカラの中心にあります。そのモスクには、もともと玄関やドームも、柱廊や中庭もありませんでした。そのモスクには3ヶ所の入り口があり、これを通って213もの木の柱と平たい天井のメインホールに行くことが出来ます。柱は一本一本、その寸法も、建設様式も、仕上げ方も年代もさまざまです。ただし、モスクが建造されたのは1788-89年で、12-15世紀の柱が使われています。
モスクの南には、尊敬されていた古代の詩人バフラヴァンマフムードにささげた関連施設(1247-1325)があります。バフラヴァンマフムードの死後、牧師は彼をヒヴァの聖なる守護者に加えました。バフラヴァンマフムードの関連施設からそれほど遠くないところに、イスラムコジャのメドレッセが20世紀に建てられました。イスラムコジャミナレットが、高さ44.6mで、ヒヴァのどの場所からでもよく見えます。
現在でもヒヴァは、工芸品の重要中心地のひとつです。木彫りや石の彫刻、宝飾品、版画、刺繍そして絨毯製造で知られています。
グレートシルクロードの最も重要な文化の拠点のひとつとしてのヒヴァは、世界中の歴史家が注目しています。その地が起源となるもの、ヒヴァに関する原物の文献、壮大な文化遺産が数多くあります。そしてこの古代都市にはまだまだ語りつくせない伝説や歴史が沢山あります。
ニュース
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